2019年10月、 クールジャパン機構は2名の日本人女性が創業したニューヨークのファッションブランド「M.M.LaFleur(エムエムラフルアー)」に出資しました(プレスリリースはこちら)。狙いは、「M.M.LaFleur」をプラットフォームとして、日本の素材・テキスタイルの魅力を海外に発信することにあります。このため、出資後も同ブランドと繊維メーカー等との取引拡大に向けてビジネスマッチングを推進してまいりました。
その活動の中で実現したのが、「M.M.LaFleur」と山形県の老舗ニットメーカー「米富繊維株式会社」のコラボレーションです。前回、この「CJ Insights」のコーナーで、「M.M.LaFleur」の中村美也子チーフクリエイティブオフィサ―と、米富繊維の大江健代表取締役社長の対談をお届けしました。
*対談はこちらをご覧ください。
今回、日本のものづくりの魅力を掘り下げるため、大江社長にインタビューし、日本の繊維メーカーとして世界への挑戦することの背景や苦労、地域のものづくりが生き残るために必要なことなどについてお話を伺いました。(内容は2021年1月現在、敬称略)
<米富繊維株式会社 代表取締役社長 大江健さんプロフィール>
高校まで山形で過ごした後、専門学校にてマーケティング、デザイン、ファブリックを学ぶ。セレクトショップのスタッフを経て、2007年同社に入社。ニットツウィードという素材の持つ無限の可能性を追求し、表現をすべく2010年に自社ブランド「COOHEM」を立ち上げる。2016年には、TOKYO FASHION AWARD を受賞。2015年以降、同社代表として国内外に日本のファクトリーブランドの進化を発信している。
Q. 日本有数のニット産地である山形県山辺町(やまのべまち)にて、伝統を受け継ぎながら、自社ブランドの創造など新しいことに挑戦することの背景、想いを教えて下さい。
戦前から山形では羊の毛を染める染色工場が多くあり、戦後はその糸を活かして着るものを作ろうと、多くのニット工場ができました。弊社も手編みでセーターを作ることから始まりました。最初は山形の人たちが買ってくれましたが、創業者である私の祖父が夜行列車に乗って北海道や青森に売りに行き、その後東京の百貨店や問屋にも紹介していきました。
子供の頃には、弊社は地域で一番大きいニット工場になって、父からも他社に先駆けた取組をよく聞かされていたので、私や会社は自然に新しいことに取り組めるのだと思います。ブランドを作ったときも、初めは現場からは受け入れられない雰囲気も多少はありましたが、それでも技術や経験豊富な職人をはじめ若手社員の協力を得てこれまでやってきたことを振り返ると、弊社には新しいことに取り組む社風が受け継がれているのだと実感します。
Q. 自社ブランド「COOHEM(コーヘン)」を立ち上げた経緯を教えてください。
2000年を過ぎてから、日本のアパレル企業と長らく続けてきた日本型OEMが工場の経営を圧迫し、弊社の事業も縮小傾向にありました。この先事業を続けていくには、自社ブランドを立ち上げて、自ら販売していかなければ、会社の継続は難しいのではないかという状況になっていました。私が入社したのはその頃です。会社としてものづくりを続けていくために、新しいビジネスを立ち上げなければいけない局面に来ていました。
とはいえ、ブランドを作るノウハウや経験は無かったので、見様見真似で展示会を開いてバイヤーをご招待し、少しずつカタログやWebサイトを整えていきました。取引先も最初は4件しかなく、10年かけてようやく十数倍までに広がりました。自社ブランドの取引をきっかけにOEMを受注するという逆転現象も起きました。自社ブランドを持つことで会社のものづくりを説明しやすくなったのだと思います。色々な失敗を繰り返しましたが、今思えば階段を一段一段登ったからこそ見えたことが沢山あります。
Q. 「COOHEM」は複数の糸や素材を組み合わせる「交編」という、他社にない技術から生まれる独創的なニットツウィードが印象的です。どのように生み出されたのですか。
技術としては以前からありましたが、弊社の中ではあまり着目していませんでした。私は前職でセレクトショップの店頭に立ち、色々な服に触れてきたので、工場に置かれていた数万枚もの編地の見本を見ながら、これらをうまくアレンジすれば素敵な服になるという確信がありました。一般的にニットツウィードはシックであか抜けない印象になりがちですが、様々なアレンジを加えるうちに独特な色合いを生み出すことができ、自然にブランドができあがってきたという感じです。
普通のセーターだと編むのに1着60分と言われているところ、「COOHEM」は1着240分程かかります。複数台の編機を使っていますが、1台から編み出せるのは1日2.5着です。生産性は決して高くありませんが、複数の素材を複雑に組み合わせて作るので大規模工場の大量生産では難しく、逆に小規模工場だと高級になりすぎて消費者に受け入れられません。弊社の中規模の工場が、ある程度のロットで量産できるギリギリの体制と言えます。
Q.「COOHEM」は海外にも展開していますが、販路を拡大するうえでどのような苦労がありましたか。また、海外に出て初めて気づいたことはありますか。
2013年の秋冬から海外での販売を始めました。アジア、特に香港・韓国での引き合いが多いです。JETROや中小機構の補助金なども利用させて頂きながら自ら営業に出向いて販路を開拓し、海外の卸先は徐々に増えていきました。ただ、単発の発注はあっても突然連絡が取れなくなったり、連絡もなく支払いが遅れたりすることを度々経験しました。そのような点で、自社だけで海外と継続的にビジネスをすることに難しさを感じました。
日本のブランドは納期遅れを起こさない、質の悪いものは出さないなど、海外のバイヤーから見ても評価は高いと思います。日本人は、ファッションの世界では洋服の歴史が長い欧米の方がレベルが高いと思い込んでいるところがあります。私自身もそうでしたが、冷静に考えれば実はそんなことはないのではないかと思うようになりました。歴史が浅いと臆することなく、海外の取引先に対しても遠慮せずに堂々と提案することが大事だと思います。
Q. 今年2月には、クールジャパン機構の投資先であるニューヨークのファッションブランド「M.M.LaFleur」から米富繊維のニットジャケットが発売され、米国の女性たちが広く着る機会となりました。実際に取り組んでみていかがでしたか。
これまで海外では自社ブランドの取引を優先していましたが、海外ブランドのOEMにも積極的に挑戦したいと思っています。ただ、弊社のスタッフには海外ブランドとのやり取りは検討もつかないという人もいます。クールジャパン機構から「M.M.LaFleur」のお話を頂いたとき、これならスタートしやすいと思いました。ブランドからの英語の指示を全て日本語にして現場で回すわけですが、いずれは慣れないといけないことなので、今回はそのきっかけを頂いたと思っています。
現場の担当者やパタンナー(*)は、指示の仕方が日本のブランドと全く違うと言っていました。また、スワッチ(色見本)のOKを頂くまでにどうしても時間がかかります。全体のリードタイムとしては日本のブランドの倍はかかるかもしれません。日本では見られないパターンをリクエストされたりもしました。その一つひとつが勉強になっていて、あとは慣れていくしかないと思っています。何でもそうですが、最初が一番大変です。
(*)ファッションデザイナーが作成したデザインをもとに、パターン(型紙)におこす専門職
「M.M.LaFleur」は働く女性向けにオンにもオフにも着やすい素材を求めています。弊社のニットツウィードの強みを生かせると思うので、まずは今回のシリーズを継続的にブラッシュアップして、ブランドと一緒にポジションを確立していくことができればいいと思います。そのうちお互いのやりとりにも慣れて実績も出てきたら、カシミアのセーターなど様々な商品を展開していきたいですね。
Q. 今後、米富繊維をどのような会社にしていきたいですか。
このコロナ禍において、同業他社がクラウドファンディングを活用して自身の商品を販売するなど、物の作り手が販売まで手掛ける動きが急速に進んでいるように感じます。製造業がECを活用して小売と完全にボーダレスになり、製造も小売も同じくらい注力する時代が近いうちに来るでしょう。今は国内が中心ですが、販売先を海外にも広げれば日本の製造業も生き残る可能性があると思っています。弊社も会社のメイン事業である製造業を軸に、自分たちで作ったものを自分たちで販売する製造小売業を目指します。
今、業界には工場自らが製造販売するファクトリーブランドが沢山あり、良いことだと思っています。「COOHEM」は、新しいファクトリーブランドの形を常に発信し続ける存在でありたいです。例えば、これまでに弊社のニットを使った羽織やシューズを、各分野の専門の会社の方々と作らせて頂きました。このように服ではない分野でのコラボレーションや海外との取引拡大など、新しいことへ挑戦する米富繊維のDNAのもとに積極的に取り組んでいきたいです。
(終わり)
<関連記事>
・<対談/前編> NY発ファッションブランド “M.M.LaFleur”×老舗ニットメーカー“米富繊維”
・<対談/後編> NY発ファッションブランド “M.M.LaFleur”×老舗ニットメーカー“米富繊維”